こんにちわ。
えーと。。。
今回は、前回の続きで、
家庭環境とうつに至るまでを書きます。
あたしには、夢がありました。
音楽がとても大好きだったので
東京の専門学校に行って、レコーディングエンジニアになるとゆー夢が
ありました。
しかし、うちの親は、全く耳をかしてくれませんでした。
高校進学の時もそうだったのですが、
うちの父親というのが、見栄っ張りの人だったので、
子供の学歴も自分のステイタスのように考えてる人でした。
だから、行きたい高校があったのですが、
結局、耳をかしてくれこともなく、
ただ県内で1番の進学校。
そこ以外だったら、高校など行かなくていいという。
そうゆう人でした。
あたしには、専門学校に行きたいという夢があったので
仕方なく、その進学校を受験しました。
なぜか、なんとも言えない気持ちですが、
あたしは、子供の頃から、成績は、なぜか良かったのです。
学年で1番ぐらいの。。。
習っていない数式を解くことも、出来ました。
だから、たぶん、親の期待も大きかったのかもしれません。
それが、あたしには、逆に生きづらかったように思います。
高校に入ったけど、周りの人間は、つまらない人達ばかりでした。
型にハマった生き方をしてる真面目な人達ばかりで。。。
しかも、そんな、進学校にきてから、
いわゆる高校デビューする人が多かったですね。
中学が一緒で、担任の手先みたいな真面目人間が
急に、ちょいヤンキースタイルでのさばってました。笑
ちなみに、わたしは、小学校から、中学にかけて
ヤンキーだったので、
高校では、脱ヤンキーをしていました。
なんとなく、ださいと思ったからです。笑
高校に入ってまで、ヤンキーしてることが。。。
そんな、ださい学校だったので、恥ずかしくて
あたしは、学校の名前をいうことがすごくイヤでした。
あたしは、高校に入って、軽音楽部に入りました。
そこで知り合った、音楽仲間の男子とは、そこそこ
仲良くやってました。
で、まぁ、女友達というのもいました。
でも、本音で付き合ったことは、なかったですね。
普段は、1人で行動することが多かったし、
学生だと、グループを作らないとならない場合だけ
そのグループに所属していた感じでした。
で、工業高校の2コ上の男の子達とバンドを組んでました。
だから、高校生活というとそっちの付き合いか、
居酒屋でバイトしていたのでそっちの付き合いが
ほとんどでした。
で、進路を決める時に、音楽の話をしたら、親に反対されたので
自分でお金貯めて行こうと思って、バイトの掛け持ちとかも
してお金貯めてたんですけど、
両親が勝手にバイト先に「辞めさせてください。」という電話をして
バイトもクビになりました。
この頃からですね。
両親との確執が目立ってきたのは。。。
で、それでも、あたしの頭の中には、東京に出る!ということだけが
常にありました。
それは、東京にすでにライブ仲間が居たこともそうなんですが、
東京に出ると音楽の幅が広がると思ったからです。
やっぱり、東京の方が発信が早いし、
気軽にライブに行けるという魅力があったからです。
だから、田舎に残るよりも、自分の中の道がひらけると思ったからです。
そんなわけで、高校を卒業して、
あたしは、服飾デザインの専門学校に通うことになりました。
どうして、そこで服飾だったのかというと
洋服が大好きだったことと、デザインすることが好きだったからです。
でも、家賃だけは、親も仕送りをしてくれたのですが、
生活費は、バイトしなくては、ならなくて。。。
でも、とにかく、服飾系の学校は、課題が多いのです。
毎日、何かしらの課題が出ます。
それで、課題とバイトの両立が出来なくなっていました。。。
本気で服飾の勉強をするのには、バイトなどしている時間がないという
現実をつきつけられました。
毎日、徹夜でした。。。
それでも、東京に残りたかったので、
学校を辞めました。
1年で辞めてしまいました。。。
それからは、居酒屋でバイトしながら、音楽三昧の生活をしていました。
そう、この居酒屋でのバイトがあたしの人生で大きな挫折を
味わうことになるのです。
居酒屋でバイトしている時に別の店舗のKくんという大学生と
仲良くなりました。
年は、あたしと同じ19でした。
で、まぁ、いろいろあって、あたしは、Kくんと付き合うことに
なりました。
あたしは、今まで、男性とお付き合いすることは、あったのですが、
最後まですすんだことがなかったのです。
だから、Kくんが、初めての相手でした。
しかも、Kくんとの初めてのエッチであたしは、妊娠をしてしまったのです。
その時は、もう20歳になってました。
Kくんに話すと急に態度が変わりました。
しかも、Kくんは、あたしと付き合い始めた頃は、まだ、他の人と
付き合っていたのです。
あたしは、元々、少し、精神的に不安定な部分を持っていました。
だけど、妊娠して、つわりがひどくて全く、外にも出られない状態に
なっていました。
こうなると、精神状態の不安定さが、ひどくなって当然ですよね。
最初は、Kくんも訪ねてきてくれたけど、
だんだんと減っていき、あたしは、子供を堕ろす決意をしました。
それで、病院にそう、告げると12月24日に入院してくださいと言われました。
その時は、何も考えてなかったんですけど、
落ち着いて考えたら、クリスマスイヴですよね。。。
当然のようにKくんは、病院にもきてくれなかったです。
もう、ある意味バックレ状態でしたよね。
で、24日に入院して、翌日の堕胎への準備をして
24日の夜、周りは、幸せそうな家族の声が響く中、
1人で、チキンやケーキを食べました。
さすがにその時の寂しさは、ホントに辛かったですね。
ずっと泣いてました。
そして、25日の午前中に堕胎をして、
夕方、1人で家に帰りました。
その時の激痛と悲しさと惨めさは、今でも忘れません。。。
その頃から、たぶん、精神を病んでたようです。
その後の記憶がほとんどないのです。。。
数ヶ月。。。
それで、気づいたら、実家に帰っていました。
こんな形で実家に戻ったことも、ホントにショックでした。
それで、実家に戻ってすぐに仕事を探すことにしました。
ちょうど、CDショップで求人を出していたので、
面接に行くとその場で合格になり、
翌日から、仕事に行くことになりました。
仕事は、楽しかったです。
ただ、以前のように心の底から笑えなくなっていました。
Kくんが、その後、どうしていたのかも知りません。
ただ、あたしを苦しめたのは、Kくんが、堂本剛さんに少し似ていたことです。
それで、堂本剛さんを見るたびに胸が締め付けられる思いでした。
で、それから、3年ほど、仕事を生き甲斐のように頑張ってきました。
あたしは、バイトながらも、本社にも認められるようになり、
本社の会議にも呼ばれたり、地元のラジオにゲストで呼ばれることも
ありました。
そんなとこに人事異動で入ってきた30代半ばの男性社員さんが
いたんですけど、その人の仕事の仕方にどうしても納得がいかなかったのです。
音楽が好きでもないようですし、
何か詳しいジャンルがあるわけでもなくて、
いつも裏方で作業みたいな仕事をしていて
まぁ、いわゆる、手抜きをしてたのです。。。
それを知ってしまった時の衝撃は、大きかったです。
なぜかというと、あたしは、自分の抱えてるジャンル勉強のために
自腹で毎月3万ぐらいCDを買い、雑誌を買うという
ホントに仕事中心の生活をしていました。
今、考えたら、人は人なんですけど。。。
だけど、なんか、ふと比べてしまったんですよね。
その社員さんは、手抜き仕事をしていてもお給料は、あたしよりも
全然上で、しかも、ボーナスももらって、旅行に行ったりしてる。。。
なんか、あたしのプライドがガタ落ちになった瞬間だと思います。
それから、仕事に行くと、めまいがひどくて、立っていることが出来なくなりました。
家にいる時は、なんともないのですが、職場に行くとその状態。
しかも、ずっとお腹がグルグル鳴っていて、すべて下してしまっていました。
それで、近所の内科に通院して、腸の動きを抑える点滴を
毎日してもらいに行ってました。
でも、めまいも下痢も良くならずにひどくなる一方でした。
で、ある日、その内科の向かい側に
精神科があることに気づきました。
別に自分が精神的に病んでるなんて思ってもなかったのですが、
なぜか、その時は、吸い寄せられるように
その病院に入っていきました。
で、先生といろいろ話をしてたら、勝手に涙が出てきて。。。
で、先生に言われました。
「うつ病ですね。」
23歳の春でした。。。。
そして、薬をもらって、通院することになりました。
では、今回は、ここまでです。笑
えーと。。。
今回は、前回の続きで、
家庭環境とうつに至るまでを書きます。
あたしには、夢がありました。
音楽がとても大好きだったので
東京の専門学校に行って、レコーディングエンジニアになるとゆー夢が
ありました。
しかし、うちの親は、全く耳をかしてくれませんでした。
高校進学の時もそうだったのですが、
うちの父親というのが、見栄っ張りの人だったので、
子供の学歴も自分のステイタスのように考えてる人でした。
だから、行きたい高校があったのですが、
結局、耳をかしてくれこともなく、
ただ県内で1番の進学校。
そこ以外だったら、高校など行かなくていいという。
そうゆう人でした。
あたしには、専門学校に行きたいという夢があったので
仕方なく、その進学校を受験しました。
なぜか、なんとも言えない気持ちですが、
あたしは、子供の頃から、成績は、なぜか良かったのです。
学年で1番ぐらいの。。。
習っていない数式を解くことも、出来ました。
だから、たぶん、親の期待も大きかったのかもしれません。
それが、あたしには、逆に生きづらかったように思います。
高校に入ったけど、周りの人間は、つまらない人達ばかりでした。
型にハマった生き方をしてる真面目な人達ばかりで。。。
しかも、そんな、進学校にきてから、
いわゆる高校デビューする人が多かったですね。
中学が一緒で、担任の手先みたいな真面目人間が
急に、ちょいヤンキースタイルでのさばってました。笑
ちなみに、わたしは、小学校から、中学にかけて
ヤンキーだったので、
高校では、脱ヤンキーをしていました。
なんとなく、ださいと思ったからです。笑
高校に入ってまで、ヤンキーしてることが。。。
そんな、ださい学校だったので、恥ずかしくて
あたしは、学校の名前をいうことがすごくイヤでした。
あたしは、高校に入って、軽音楽部に入りました。
そこで知り合った、音楽仲間の男子とは、そこそこ
仲良くやってました。
で、まぁ、女友達というのもいました。
でも、本音で付き合ったことは、なかったですね。
普段は、1人で行動することが多かったし、
学生だと、グループを作らないとならない場合だけ
そのグループに所属していた感じでした。
で、工業高校の2コ上の男の子達とバンドを組んでました。
だから、高校生活というとそっちの付き合いか、
居酒屋でバイトしていたのでそっちの付き合いが
ほとんどでした。
で、進路を決める時に、音楽の話をしたら、親に反対されたので
自分でお金貯めて行こうと思って、バイトの掛け持ちとかも
してお金貯めてたんですけど、
両親が勝手にバイト先に「辞めさせてください。」という電話をして
バイトもクビになりました。
この頃からですね。
両親との確執が目立ってきたのは。。。
で、それでも、あたしの頭の中には、東京に出る!ということだけが
常にありました。
それは、東京にすでにライブ仲間が居たこともそうなんですが、
東京に出ると音楽の幅が広がると思ったからです。
やっぱり、東京の方が発信が早いし、
気軽にライブに行けるという魅力があったからです。
だから、田舎に残るよりも、自分の中の道がひらけると思ったからです。
そんなわけで、高校を卒業して、
あたしは、服飾デザインの専門学校に通うことになりました。
どうして、そこで服飾だったのかというと
洋服が大好きだったことと、デザインすることが好きだったからです。
でも、家賃だけは、親も仕送りをしてくれたのですが、
生活費は、バイトしなくては、ならなくて。。。
でも、とにかく、服飾系の学校は、課題が多いのです。
毎日、何かしらの課題が出ます。
それで、課題とバイトの両立が出来なくなっていました。。。
本気で服飾の勉強をするのには、バイトなどしている時間がないという
現実をつきつけられました。
毎日、徹夜でした。。。
それでも、東京に残りたかったので、
学校を辞めました。
1年で辞めてしまいました。。。
それからは、居酒屋でバイトしながら、音楽三昧の生活をしていました。
そう、この居酒屋でのバイトがあたしの人生で大きな挫折を
味わうことになるのです。
居酒屋でバイトしている時に別の店舗のKくんという大学生と
仲良くなりました。
年は、あたしと同じ19でした。
で、まぁ、いろいろあって、あたしは、Kくんと付き合うことに
なりました。
あたしは、今まで、男性とお付き合いすることは、あったのですが、
最後まですすんだことがなかったのです。
だから、Kくんが、初めての相手でした。
しかも、Kくんとの初めてのエッチであたしは、妊娠をしてしまったのです。
その時は、もう20歳になってました。
Kくんに話すと急に態度が変わりました。
しかも、Kくんは、あたしと付き合い始めた頃は、まだ、他の人と
付き合っていたのです。
あたしは、元々、少し、精神的に不安定な部分を持っていました。
だけど、妊娠して、つわりがひどくて全く、外にも出られない状態に
なっていました。
こうなると、精神状態の不安定さが、ひどくなって当然ですよね。
最初は、Kくんも訪ねてきてくれたけど、
だんだんと減っていき、あたしは、子供を堕ろす決意をしました。
それで、病院にそう、告げると12月24日に入院してくださいと言われました。
その時は、何も考えてなかったんですけど、
落ち着いて考えたら、クリスマスイヴですよね。。。
当然のようにKくんは、病院にもきてくれなかったです。
もう、ある意味バックレ状態でしたよね。
で、24日に入院して、翌日の堕胎への準備をして
24日の夜、周りは、幸せそうな家族の声が響く中、
1人で、チキンやケーキを食べました。
さすがにその時の寂しさは、ホントに辛かったですね。
ずっと泣いてました。
そして、25日の午前中に堕胎をして、
夕方、1人で家に帰りました。
その時の激痛と悲しさと惨めさは、今でも忘れません。。。
その頃から、たぶん、精神を病んでたようです。
その後の記憶がほとんどないのです。。。
数ヶ月。。。
それで、気づいたら、実家に帰っていました。
こんな形で実家に戻ったことも、ホントにショックでした。
それで、実家に戻ってすぐに仕事を探すことにしました。
ちょうど、CDショップで求人を出していたので、
面接に行くとその場で合格になり、
翌日から、仕事に行くことになりました。
仕事は、楽しかったです。
ただ、以前のように心の底から笑えなくなっていました。
Kくんが、その後、どうしていたのかも知りません。
ただ、あたしを苦しめたのは、Kくんが、堂本剛さんに少し似ていたことです。
それで、堂本剛さんを見るたびに胸が締め付けられる思いでした。
で、それから、3年ほど、仕事を生き甲斐のように頑張ってきました。
あたしは、バイトながらも、本社にも認められるようになり、
本社の会議にも呼ばれたり、地元のラジオにゲストで呼ばれることも
ありました。
そんなとこに人事異動で入ってきた30代半ばの男性社員さんが
いたんですけど、その人の仕事の仕方にどうしても納得がいかなかったのです。
音楽が好きでもないようですし、
何か詳しいジャンルがあるわけでもなくて、
いつも裏方で作業みたいな仕事をしていて
まぁ、いわゆる、手抜きをしてたのです。。。
それを知ってしまった時の衝撃は、大きかったです。
なぜかというと、あたしは、自分の抱えてるジャンル勉強のために
自腹で毎月3万ぐらいCDを買い、雑誌を買うという
ホントに仕事中心の生活をしていました。
今、考えたら、人は人なんですけど。。。
だけど、なんか、ふと比べてしまったんですよね。
その社員さんは、手抜き仕事をしていてもお給料は、あたしよりも
全然上で、しかも、ボーナスももらって、旅行に行ったりしてる。。。
なんか、あたしのプライドがガタ落ちになった瞬間だと思います。
それから、仕事に行くと、めまいがひどくて、立っていることが出来なくなりました。
家にいる時は、なんともないのですが、職場に行くとその状態。
しかも、ずっとお腹がグルグル鳴っていて、すべて下してしまっていました。
それで、近所の内科に通院して、腸の動きを抑える点滴を
毎日してもらいに行ってました。
でも、めまいも下痢も良くならずにひどくなる一方でした。
で、ある日、その内科の向かい側に
精神科があることに気づきました。
別に自分が精神的に病んでるなんて思ってもなかったのですが、
なぜか、その時は、吸い寄せられるように
その病院に入っていきました。
で、先生といろいろ話をしてたら、勝手に涙が出てきて。。。
で、先生に言われました。
「うつ病ですね。」
23歳の春でした。。。。
そして、薬をもらって、通院することになりました。
では、今回は、ここまでです。笑